The Word & the Truth
- 除酵祭の預言と預言成就
- 除酵祭は苦難の祭りで、将来キリストが十字架の苦難を受けられることを表した祭りです。イスラエルの民が紅海の中に入ったのは、イエス様がお墓に入られることを表したのであり、紅海から上陸したのはイエス様の復活を表したもので、今私たちが受けている浸礼により、その意味を現している。モーセは除酵祭に肉的イスラエルの民をシナイの荒れ野に導き、イエス様は十字架を担われることで、この世、罪悪の地(エジプトとして象徴)から、霊的イスラエルの民を信仰の荒れ野に導かれることになった。 誰でも信じて浸礼を受けたら、紅海を越えて信仰の荒れ野に入った者になる。私たちがこの除酵祭を守らなければならない理由は、キリストと共に十字架の苦難に与ろうとするからであり、これは将来受ける苦難を前もって味わうことで、私たちが受けるべき苦難と試練を十分に受けられるように神様から能力を受けるのである(ルカ22章43-44節)。
- 仮庵祭の約束
- 仮庵祭は、天のエルサレムの神殿の材料である 14万4千人の聖徒たちを集めるために神様の御力である聖霊を許される喜ばしい日です。預言者ゼカリヤはこのような事実を次のように預言しました。 ゼカ14: 16-19 『エルサレムを攻めたあらゆる国から/残りの者が皆、年ごとに上って来て/万軍の主なる王を礼拝し、仮庵祭を祝う。地上の諸族の中で、エルサレムに上って万軍の主なる王を礼拝しようとしない者には、雨が与えられない。もし、エジプトの家族も上って来なければ、仮庵祭を祝うためにエルサレムに上らなかった諸国の民が、主から受けたと同じ疫病に見舞われることがないと言えようか。これこそ、仮庵祭を祝うために上って来なかったエジプトの受ける罰であり、またすべての国の受ける罰である。』 本文の内容の中では 「仮庵祭を守りに来ない者には雨(聖霊)を授けない」と明らかに預言されています。そして仮庵祭を守りに来なかった者には、神様が災いを下すはずであり、彼らは罰を受けるようになると教えています。にもかかわらず今日仮庵祭を守らない人々が 「聖霊を受けた」、「神様の祝福を受けた」と言うことは全く聖書にないサタンの偽りで、 むなしい嘘だという事実を確実に悟らなければなりません。神様の聖霊は仮庵祭を守る民に授けると約束され、イエス・キリストもこの問題に対して明らかな神様の御旨を説明してくださいました。 ヨハ 7: 37-39 『祭りが最も盛大に祝われる 終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている"霊"について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、"霊"がまだ降っていなかったからである。』 預言者ゼカリヤは仮庵祭を守らない者には雨を授けないと説明し、イエス・キリストは仮庵祭を守って聖霊を受けなさいと言われました。 二つの内容の御言葉を比べて見れば、ゼカリヤ書に現われた仮庵祭に降る雨は、仮庵祭に賜る聖霊のことです。上の御言葉から見る時、聖霊は確かに五旬祭や仮庵祭を守る者に臨む神様の御恵みであり御旨です。では今日において仮庵祭を守らなかった人々が聖霊を受けたというのは、どの神の業でしょうか。聖霊の業でしょうか、悪霊の業でしょうか。神様は決してむなしい御言葉をしない方です。仮庵祭を守る民に聖霊を授けると約束されたら、仮庵祭を守らない民にどうして聖霊を授けられるでしょうか。それは明らかに神様でない、他の神の業です。 昔のファリサイ教人たちは、メシアが来られることを知っていながらもメシアを迎えられませんでした。そのように今日多くの聖書学者は春の雨の聖霊が注がれることを知っていながらも聖霊を受ける真理は悟れずにいます(エレ 8: 7、3: 3)。
- [エロヒムの神様] 定められた時に現われる
- [天の御母様] 父・安商洪様の子供になる権勢
- [再臨キリスト] いちじくの木のたとえ
- [異端に対して] 真の預言者はシオンにいる
- [基本真理] 私のための生
Bible Q&A

前もって書面で神様の教会世界福音宣教協会の許可を受ける前に、このウェブサイトのどの部分もコピーしたり、資料を保存したり、
また、どの方法でも(コピー、手記、写真、見られる電子装備、オーディオ、また、その外のものなど)どの形態でも伝えてはなりません。
このようなすべての行為は著作権法に違反します。