The Word & the Truth
- 私のための生
- 人間の生の中で「私」という存在は何かと考える時が多いです。ある人々は「人間は生きるために食べる」 または「人間は食べるために生きる」と言います。もちろん二つとも正しい言葉ではありません。 私の主人はこの肉体ではなく、肉体の中に閉じこめられている魂です。私が「肉体」と言う幕屋(Tent) の中に住んでいるという話は、私たちに何かを示唆しています。私たちがキャンプに行くとか野営する時幕屋(テント)で何日間か過ごしませんか。言い替えれば、幕屋での生は、臨時的に過ごす生活です。同じく幕屋に比喩された肉体の中での生は、しばらく住む家に過ぎません。 私たちが表の人である肉体のために生きたら、彼は家のために生きる人でしょう。人は家ではない私自身のために生きるのではないでしょうか。 私たちが信仰生活をする中にもとも、すれば肉身の生にもっとかたよる時があります。もちろん私たちが肉身を着ている以上、肉身の生を否定することはできません。しかししばらくあってから消える幕屋のみのために暮したらどれだけ虚しい行為ですか。 たとえ今は罪によって幕屋の中に住んでいてもキリストの過越祭の功労によって救い、すなわち罪の赦しを受けるようになれば神様が準備しておいた永遠な家が待っています。生の比重をどこに置いて生きて行くか答は明確だと考えられます。 二コリ 4:18 『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。』
- 使徒ペトロの思想と魂
- ペトロはイエス • キリストが昇天なさる直前にくださった御言葉を常に憶えていました。 ヨハ21:18~19 『はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところ連れて行かれる」ペトロがどのような死に方で、神の光を現すようになるかを示そうとして、イエス はこう言われたのである。このように話してから、ペトロ に、「わたしに従いなさい」と言われた。』 ペトロが福音の生涯をほとんど仕上げる直前、彼はイエス • キリストが自分にくださった御言葉を思い出しながら自分が去った後聖徒たちを気づかって次のように記録しました。 二ペト 1:13∼14 『わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、 あなたがたにこれらのことを 思い出させて、奮起させるべきだと 考えています。わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。』 ペトロは自分の死を示して「幕屋を脱ぎ去る(口語訳)」と表現し、幕屋を 脱ぎ去ることを示して自分が去ると言っているからペトロが(魂が) 体を去るのではなくて何ですか。ペトロの魂が体の中にいる時はその体がペトロの家だがその魂が去った後には土に帰ってしまうのです。 私たちが使徒たちの思想を知ろうとするのは使徒たちがイエス•キリストからどんな教えを受けたのか。ということを知るためです。今まで見た使徒たちの思想を通じて、彼らはイエス•キリストから私たちの人間の魂が存在するという教えを受けたことが分かります。
- [エロヒムの神様] 定められた時に現われる
- [天の御母様] 父・安商洪様の子供になる権勢
- [再臨キリスト] いちじくの木のたとえ
- [3次の7つの祭り] 除酵祭の預言と預言成就
- [異端に対して] 真の預言者はシオンにいる
Bible Q&A

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